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奪われた足

呪い代行呪鬼会

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ピ―!グランドに響くホイッスルに、一斉にチームメイトが監督の元に引き上げる。 「十分休憩!」 その言葉を合図に、一斉にペットボトルの飲料水に飛びつく男たち。ごくり、ごくりと喉を鳴らして飲み干し一息つくと、隣の男が肩を話しかけてきた。まだ入部して一カ月、ほとんど話したこともない相手だ。
「なぁ、何年か前にいた先輩の呪いの話、知っているか?」 怖い話は基本的に苦手だ。だが、数分前にこいつが見せたフォームは一目置くほど綺麗だった。後々、ピッチングのことも話したいという下心の元、僕は興味のある素振りをした。
「なに。知らない。どんな話よ」 それで充分。そいつは、まるでおとぎばなしでも話すように、嬉々として自分のことのように話し始めたのだ。

「あれ、水口じゃない?」 大学四年生の僕に声を掛けたのは、高校時代のクラスメイトだった原田でした。春から始まった就活戦線に漏れなく参戦している僕は、まだ慣れないスーツを着て満員電車から地元の駅のホームに降り立った所だったんです。 「おー、久しぶりじゃん」 咄嗟に笑顔を作りましたが、僕にとっては少し気まずい再会になったといっても過言ではありません。しかし、原田はそんなことをまるで気にしない素振りで、しかしとても驚きながら僕の右足を凝視しました。そして、人ごみを避けるようにホームの中ほどにあるベンチに近づくと、大きな鞄を置きます。それは間違いなく、野球の練習服が入っているのだろう見慣れた鞄だったのです。そこにまた、僕は気まずい気持ちになります。 「まだ、野球やっているんだな」 「おお、そんなことよりお前。足、どうしたんだよ」 原田が驚くのも当然です。私は高校三年生になる直前の春に、右足を失ったのだから。 「去年、有難いことに手術できたんだよ。多少ひきつる時もあるけど、おかげで走ることも今では普通にできるんだ。あの時は、迷惑かけたよな」 僕がそう言うと、原田は一瞬戸惑ったような顔を見せたものの、すぐにはじけるような笑顔に変わった。そして、何度も僕の肩を叩くのです。 「良かったな!でも、不思議なこともあるな。お前とエースを争っていた三島だけどさ。去年サークルの合宿にバイクで行く途中、事故ったんだって。で、今は車椅子らしいぜ」 三島、と聞くだけで僕の全身に鳥肌が立ちました。僕を一度は地獄へ落そうとしたあの男の顔が脳裏によぎります。「まじか、可哀想だな。でも経験者だから分かるけど、誰にも憐れんでもらいたくはないもんだよ。気にしないようにしようぜ」、そう答えると、僕は以前より逞しくなった足で、原田の肩をがっしりと捕まえ、改札へ歩き出しました。それでは、僕の過去をお話しましょう。 事の始まりは高校三年生になる春休みのことでした。毎日、学校には勉強をするよりも部活をしにいく目的が強く、朝練に始まって夜練に終わるというのが当たり前になっていました。通っていた高校の野球部は県内でも1,2位を争う強豪校で、生徒の中には県外から寮に入ってまできた同級生がいることも珍しくはありませんでした。そんな中、僕は電車で十五分ほどの距離の自宅から通学していました。強豪校の中では、教師が折檻をしたり、先輩が後輩に対して暴力をふるうことは珍しくないようですが、僕の学年はひときわ仲も良く、それがさらに周囲からは結果を期待する気持ちが強くなっているのを感じていました。ただ、そのプレッシャーに打ち勝てるのも、僕は友達に恵まれているからだと自負していました。そう、あの時までは。

「ニ番線、ホームに電車が参ります。下がってお待ちください」 やっと冬が終わり、時には半袖でも充分外で運動できる日が出てきた頃です。日が落ちるのもかなり遅くなったとはいえ、僕の帰宅時間は9時を過ぎることも少なくありませんでした。酔っ払いのサラリーマンや塾帰りの高校生、そして遊んだままのテンションが高い大学生など電車はいつも満員です。その中で大きな部活道具を持ち、汗をかいている僕のような高校生は決して良い顔をして受け入れられるわけではありません。ただ、迷惑になることを避けるため、そしてなるべく奥の方まで入れるようにホームでは先頭に立つことが常でした。幸いなことに友達はすべて反対方向で、無駄に話をする元気もなく、ぐったりと疲れた体でやりすごすことが日常になっていたのです。だからこそ、気が抜けていたと言っても過言ではありません。
「危ないっ!」 突如、背後から数人の声が耳に届いた時には、背中に強い衝撃が走っていました。体格も良く、運動神経にも自信があった僕ですが、不意に襲った衝撃から身を守ることは難しかったのでしょう。傾く身体、両手を伸ばした先には、向かいのホームで驚きに目を見開いている人達の顔がスローモーションのように写ります。精一杯身体を戻そうとしましたが、顔の右側から電車の光が差し込む所までは覚えているのです。

しかし、その後気付いた時には、僕は病院のベッドの上にいました。そう、すでに右足を失った状態で。
「十日も、目が覚めなかったのよ」 やっと目を開けた僕が一番に見たのは、ずっと泣いていたのであろう母親の顔でした。友達の間でも若くて綺麗だと有名だった母親は、ほんの一瞬でおばあちゃんになったかのように頬がこけ、髪が乱れていたのです。そして、誰かに殴られたのかと思うほどに腫れた瞼。僕は初め、何が起きているのか全く理解できませんでした。家で、朝目が覚めたのと同じ感覚でした。ですが、見上げる天井や壁のカレンダー、微かに鼻をかすめる薬品の匂いに違和感を覚え、まずは状況を把握しようと起きあがろうとしました。そこで異変に気付きました。なぜか下半身に力が入らないのです。脇で、急に泣きじゃくる母親を、僕はただ茫然と眺めていたことを覚えています。

そして自分でベッドの布団をめくって、衝撃を受けました。グルグルにまかれた包帯が右足にあるのですが、そこは太もものあった場所です。その先に、一切長い物体が消えているのです。
「大丈夫、大丈夫よ。野球ができなくなっても、あんたは、あんたなんだから」 母親は、僕の首根っこを必死で抱きしめました。まるで、何かから僕を守るように。そして、そうすることで自分自身を保っているようでもありました。それから退院までは、半年近くの月日が必要でした。感染症を防ぐために、充分な治療を終えると、待っていたのはリハビリでした。たとえ運動神経が良かった僕でも、身体の重心を半分失ったような形では、とてもではないが車椅子生活に慣れるしかありません。とはいえ、学校に戻る時のプライドとして、僕は義足に挑戦したのです。それは大きな痛みを伴うものでしたが、みんなに会えることを目標に、僕は治療を続けました。

実際、入院中に部活の仲間やクラスメイトは何度もお見舞いに来てくれました。原田や三島も例外ではありません。それは、僕の中で大きな支えとなっていたのは間違いありません。僕が意識を眠らせている間に行われた春の大会は県で決勝まで進みました。勢いをつけて夏の大会では甲子園を望む声も高まりましたが、意外にも夏は準決勝にさえ進むことができませんでした。でも、その頃には僕のリハビリもあまり上手くいっていなくて、仲間の惨敗を一緒に悲しむことができませんでした。むしろ、少し喜んでしまった僕は悪者でしょうか。

なぜそんなに心が壊れそうだったのか。それは決してリハビリのせいだけではありません。当初はまるで思い出せなかった事故の記憶を、毎晩夢で見るようになっていたのです。それが事実なのか、人から聞いた、もしくは新聞の記事で得た情報から妄想をしていたのかもしれません。それでも、背中からホームに突き落とされ、右足を切断するほどにぐちゃぐちゃにされたことが、僕の心に大きな傷を残したことは間違いなかったのです。寝汗をぐっしょりとかき、飛び起きる日々に心が折れそうになったことは一度や二度ではありません。

結局、僕が学校に復帰した時には部活のすべてが終わっていて、後輩たちはよそよそしく近寄ってくる者はありませんでした。義足でぎこちなく歩く僕に、友達は手を貸してくれましたが、以前のように色々なことは笑いあえませんでした。それでも、命拾いしたことに否定的な想いはありませんでした。そう、あの時までは。 「もしかして、お前じゃないの?」 病院ですることもなかった僕は、入院中には大学受験に向けて勉強をすることで気持ちをごまかしていました。おかげで勉強は順調でした。反対に、部活の仲間は夏まで野球漬けだったことで勉強はいまいちでしたが、何人かは野球で推薦を決めたと聞いたのです。大会で負けた時に感じた気持ちを恥じる思いもあり、今度は心から喜んであげたいと思っていました。そこで、野球部が後輩の練習中に未だに部室にいると聞きつけました。お祝いを言おうとしたら、原田の声が部室の中から聞えてきたのです。
「なんの証拠があるんだよ。俺は、あいつの足が悪くなったからって」
「水口がレギュラーじゃなくなって、スタメンはお前になっただろ」
「そんなこと理由になんねえよ。それに、あれは事故だったんだろ」
「そうだな。ちゃんと調査もされて、結局事故だってなった。でも、俺見たんだよ。お前、自転車通学なのに、どうしてあの日ホームにいたんだよ。俺、反対側のホームにいて」
「原田。お前の見間違いだろ。余計なことを言って、お前の推薦が取り消されてもしらねぇぞ」

なんというタイミングでしょう。二人が話していることは、疑いようもなく僕の話です。原田が責めていたのは三島です。僕のライバルでもあり、親友だと思っていました。でも、今の話が事実であれば、僕のことを押したのは三島ということになります。それも、レギュラーの為に。その日は、僕はどうやって帰宅したのか記憶にありません。ただ、後日それを確かめるために、三島に話しかけた時に確信したんです。彼の反応は、あまりに不自然でした。
「お前が勝手に事故ったんだろう!俺には関係ない」 学校の廊下でそう冷たくつきつけられた時、入院中に何度も心配そうに病室を訪れてくれた三島と同一人物とは思えませんでした。小学校からずっと一緒に野球をやってきた仲間として、大きく裏切られた気持ちでいっぱいだったのです。そして、それが恨みと憎しみに変わるのに時間はかかりませんでした。野球ができなくなった悔しさ、すべてが無駄にしか思えなかったリハビリの期間。そのすべての原因が、三島の一つの行動のせいだったなんて。

それからの僕は、学校にいる時も、リハビリの時も、ご飯の時さえどうしたら三島に恨みを晴らせるかばかり考えていました。そして、見つけたのです。唯一で最大の方法を。
「日本呪術研究会呪鬼会……?」 ネットでは呪いの人形を販売していたり、呪術代行をしていたりという内容が書かれている。元々誰かと喧嘩することが得意ではなく、今の体では特に殴り合うこともできない。半信半疑のまま、僕は吸い寄せられるように代行依頼のボタンを押しました。そこに出てきたのは、呪い代行をかけることで発生する費用や案内についてでした。机の引き出しを開け、今まで貯めてきたお年玉の袋をあけます。これで本当に報われるとは思っていませんでしたが、もう夢中でした。ボタンを押す、マウスにかけた指は震えていましたが、クリックした途端に心に爽快感が吹きました。

だからこそ、数日たって案内所が送られてきた時には、思わず叫びそうになってしまいました。宅急便の箱に入った案内所の送り主は、聞いたこともない名前で、母親は少し不思議そうでした。なんとかごまかして部屋に戻り、僕は覚悟を決めました。一生に一度だ。こんなにも人を恨む時はなかったのですから。そして、必要な手続きをとってからは、ただ待つだけでした。 学校では三島の姿を見かけるたびに、視界に入れないように努力しました。僕ができたのは、それだけです。ですが、すぐに呪鬼会の効果は現れました。
「三島、彼女に振られたらしいぜ」 教室で自習をしていると、離れたグループで噂話が飛んでいました。学年でも目立っていた女子に片想いをしていた三島は、ちょうど僕が事故に遭った頃に告白をしてOKをもらっていましたが、別れたというのです。絶大な効果は次々と耳に飛び込んできます。彼女との別れがショックだったのか、三島は野球推薦で決めていた大学からも評判が良くなく、足切りにあったというのです。極めつけには、弟が傷害事件を起こして捕まったと言うのは学校中の噂話になりました。それが本当かどうかを、僕は確かめる気にもなりませんでしたが。

結果、僕は第一志望の大学に現役で合格。野球はできなくても、友達には恵まれ、楽しい大学生活を過ごすこと、二年が過ぎた頃でした。再び、自宅の玄関のチャイムが鳴りました。両親は共働きなので、僕が出るしかありません。そして、そこには黒い礼服を着た男性が立っていました。段ボール箱を持って。
「すぐに、ご確認ください」 そう言って立ち去る男性を茫然と見送り、箱の中を確かめると、冷凍状態の右足が入っていたのです。一枚の手紙を添えて。

「まぁ、とにかくお前が元気そうで安心したよ。一時期、俺かなり心配して」 原田が改札で別れ際、僕に笑顔で言い放ちます。それ以上の詳細は加えず。恐らく、原田とこれ以上話すことはないでしょう。僕は財布の中にしまってある一枚の紙を取り出します。そこには、こう書かれていました。
『この右足を持って、指定の病院に行ってください。手術ができます』 そして、僕は今の足を手に入れました。多少左足とのバランスをとることに練習が必要ですが、今では問題なく運動もできます。誰がここまでしてくれたのかは分かりませんが、呪いというのは最後までつきまとうものなのかもしれません。

僕は、元気です。
「なんだよそれ。そんなことが簡単に起こったら、軽い気持ちで野球なんてできないじゃん」
「あ、やっぱりそう思う?まあ、俺たちはそうならないようにしようぜ」
「怖っ!そういえば、さっきのフォームなんだけど、俺もちょっと真似を」

僕がそこまでいうと、再びホイッスルが響く。休憩が終わるようだ。一気にグランドに散っていくチームメイト達。その走り去る中、フォームを聞こうとしたあいつが、振り向きざまに僕を物凄い形相でにらんだのは、気のせいだったと願いたい……。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

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