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あなたを離さない

呪い代行呪鬼会

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ケンタと私が出会ったのは、都内にあるカフェでした。 オフィス街にあるカフェで、昼時になるとランチを求めてやって来るサラリーマンやOLで賑わう人気店でした。 短大卒業後すぐにその店に就職した私は、平日はほぼ毎日そこのランチタイムにシフトを入れてフロアに立っていました。若い店員は私以外にもたくさんいて、ほとんどがフロアにいたので、私が特別目立つわけではなかったと思います。可愛い女の子やイケメン店員なんてのもいましたから……。だから、私がケンタと“そういう関係”になったのは、どちらかからナンパされてとかじゃないんです。

きっかけは本当に偶然で、私のミスによるものでした。 ある日のランチタイム、いつものように私はフロア業務をやっていました。フロア業務の主な仕事は、来店したお客様のご案内とオーダー。あとは商品提供です。数人のフロア担当で分担しますが、この日は開店と同時にピークを迎えてしまい、雑務が終わらないうちからフロア業務も同時進行でやらなければいけなくなりました。 あっちへこっちへ、行ったり来たり……。私は忙しくなるとパニックを起こしやすくなるところがあって、開店早々からミスを連発してしまいました。 こういうミスって、一度やってしまうとその後もズルズルとやってしまうものなんですよね。何て言うか、心に余裕が無いのが行動に出ているんでしょう。

12時を回った頃に、一人のサラリーマンがご来店しました。20代後半のように見えましたが、それにしては幼さの残る爽やかな顔立ちで、細身のチャコールグレイのスーツが似合う優男でした。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」 「そうです。席、空いてますか?」
フロアを見渡すと、窓際の無人の二人席が目に入りました。あそこなら通せる……と思った私は、ご案内致しますと彼に声をかけ、席に向かいました。席を目の前にして、私は「あ!」の声をあげました。 テーブルの上には、前に座っていたお客様の食べ終えた食器がそのままになっていたのです。まだ片付けが終わっていないところに新しいお客様を通してしまったのは、痛恨のミスです。
「申し訳御座いません。すぐにお席の準備をしますので……」
「大丈夫ですよ。慌てないで」
彼は優しく私に声をかけて、席が整うのを待ってくれました。しかし、それだけでは終わりません。 その男性相手に、私は他のミスも連発したのです。 お冷やを溢し、オーダーを間違え、テーブルの紙ナプキンの補充忘れ……。ミスが発覚するたびに私は頭を深く下げて謝罪をし、泣きそうになりました。 こういったミスの連発は普通ならクレームになり「ちょっと店長呼んでくれる?」と不機嫌に言われることが当たり前です。

しかし彼は笑顔で手を振り、
「気にしないで。こっちのメニューも気になってたから頂くよ。伝票だけ変えておいてね」
「大丈夫だよ。水を溢したくらいじゃ死なないから」
「忙しい時に悪いね、ありがとう」
と、優しく言ってくれたのです。 帰り際、私の制服についたネームプレートを見て彼は言いました。
「加藤サヤさんね。一生懸命対応してくれてありがとう」
それから週に何度か、彼はカフェにランチを食べに来て、私と話すようになりました。 その人こそが、ケンタです。本当に偶然私たちは出会ったんです。 いつしか私たちはカフェ以外でも会うようになりました。仕事が終わると一緒に繁華街に繰り出し、映画を観たり食事をしたり……。

ケンタは私がこれまでの人生で出会った男性たちとは比べ物にならないくらい優しく、物識りでした。会話の引き出しが多く話題が豊富なので、一緒にいても会話に困ることはありません。 私はケンタに惹かれていきました。ケンタも私に惹かれていたでしょう。一緒に過ごす時間が増えていき、カフェ店員と常連客から友人に変化し、恋人になるのにそれほど時間はかかりませんでした。 どちらから告白したとか、そういうのはありません。自然と手を繋ぎ、抱き合い、ホテルに行くような仲になったんです。 私は、とても幸せでした。 こんなに素敵な人と恋をし、愛し合ってるという現実が、私の心を満たし、自分はこの世で最も幸せで美しい女なのだと甘い錯覚を覚えました。

もしかしたら、ケンタは私の初恋かもしれません。 昔から結婚願望が強かった私は、このままケンタと結ばれて結婚するんだと強く思っていました。 私はこの人の妻になる。私はケンタとの結婚生活を夢見ていました。 しかし、付き合い始めて一年ほど経った頃から、私は彼に不満を抱き出しました。 彼の性格などに苛立ったわけではありません。そういった内面的なものではなく、もっと単純なものに不満を持ちました。 簡単に言ってしまうと、デートについてです。 私たちのデートはいつも仕事終わりに食事に行ったり買い物をしたり、映画を観たり……あとは私の家で二人で過ごしたりするくらいです。休日に一日使ってどこかに行くことも、旅行に行くこともありません。それどころか、ケンタは私の家に泊まったことすらなく、いつも終電近くになると帰ってしまうのです。何度かケンタの家に行きたいということを言ってみたことはありますが、適当にはぐらかされて未だに実現に至ってません。 仕事があるから等の理由で休日に会うことも出来ない。ケンタとの時間を増やしたい私には耐えられないことでした。 本当に仕事が忙しいんだ……。きっと私との時間も、仕事の合間を縫って作ってくれているんだ……。 そう思い込もうと躍起になりましたが、ある疑問がふつふつと湧いてくるのです。 ケンタは、私に何か隠し事があるのではないか……と。

仕事終わりに食事をし、いつものようにホテルに行った時に、その秘密は明らかになりました。 帰る前にシャワーを浴びて、私が先に浴室から出てきた時。ソファに置かれたケンタの鞄が目に入りました。 私の手は、無意識のうちに鞄に伸びました。中身を漁り、私用のスマートフォンを取り出すと、浴室のシャワーの音を気にしつつパスワードを入力してロックを解除しました。ケンタがスマートフォンをいじっているところは何度も見ているため、パスワードは暗記しています。 LINEで一番多くメッセージをやり取りしているトーク画面をひらき、私は愕然としました。
「お義母さんから桃もらったよ。私からのお礼の電話はしたから、パパからもしといてね」
「エリナが手足口病になった。しばらく保育園お休みさせるからよろしく。あと帰りに牛乳買ってきて、いつもの」
「エリナが“にんじん”って言えるようになったよー!あと“ママ”“パパ”もかろうじて言える!」
そこにあったのは、子供の成長を喜ぶ幸せな夫婦の会話や生活感のあるやり取りの数々でした。 ケンタは、奥さんがいて……小さな可愛いエリナちゃんという娘がいたのです。 奥さんから送られて来る娘さんの微笑ましい動画や写真に「可愛い!うちの子が一番可愛い!」とはしゃいだような言葉を返信しているケンタが、ついさっきまで私を激しく抱いていた男と同一人物とは思えませんでした。

私は、知らず知らずのうちに不倫相手になっていたのです。 恋にうつつを抜かし、私は愚かになっていました。賢い女ならケンタの接し方に違和感を覚えていたかもしれません。 スマートフォンを鞄に戻し、服を着ながら心をなんとか落ち着けようとしました。シャワーを浴び終えたケンタは、私の動揺に気付きもしません。
「サヤ、明日は仕事で残業しないといけないから、次に会うのは来週でも良いかな?」 残業なんて嘘……奥さんに怪しまれないために明日はすぐに帰って家族サービスをするんだ……。今まで無かった負の感情が心にくすぶりました。
「うん、分かった。来週楽しみにしてるね」
「ごめんな、サヤ。俺も楽しみにしてる。愛してるよ」 私を抱き寄せて唇を塞ぐこの男に、このクソ野郎と吐き捨ててやりたい……しかし私は、そんなこと出来ません。 この腕が、この指が、この唇が……身体中どころか心そのものまでもが、私はケンタを欲しているのですから。 つくづく、愚かな女です……。

スマートフォンを勝手に見た時、ケンタに問い詰めることはいくらでも出来たと思います。 確かに私は不倫相手ですが、厳密には奥さんだけでなく私も被害者なのです。何故なら、私はケンタが既婚者であることを知らなかった。彼も私に結婚していることを言っていません。私は知らないまま、言うなれば独身男性と思って関係を結んでいたわけです。 しかしそれも、あのスマートフォンを見た日までのことです。 あの日以降も、私はケンタと関係を持ち続けました。ケンタが既婚者と分かったなら、身を引くのが当たり前なのはよく分かっています。私を騙してたなと彼を問い詰め、奥さんに謝罪もし、場合によっては慰謝料を払うか、貰うか……そうするのが当たり前でしょう。

しかし、私は出来ませんでした。 ケンタを手離したくなかったのです。 ケンタが既婚者であっても、とても優しく賢い私の理想の男性は他にいません。きっとここでケンタと別れてしまったら、私は一生後悔すると確信していました。 でもこのままでは、生産性の無い付き合いを続ける未来が目に見えています。いつまでも二番目の女止まりです。 だから、私はあるところに依頼をしました。

呪い代行「呪鬼会」というところに……。 インターネットで見つけた、呪い代行サービスです。呪いをかけるというのは、長年の修行が必要です。素人の私が呪術を頼りたいなら、プロが私に代わって呪術をやってくれる「呪鬼会」に依頼するのが一番だと思いました。 呪うことは、ただ一つです。 「ケンタが奥さんと別れて、私と結婚してくれますように……」 何故、私を騙してたいたケンタを呪わないのか……疑問に思う人もいるかと思います。呪えるわけがありません。 だって、私は心からケンタを愛しているのですから。 そうでもしないと、ケンタは本当の意味で私のものにならないのです。 奥さんや未来ある小さな娘さんへの罪悪感は、微塵もありませんでした。ケンタが手には入るためなら、悪魔に魂すら売る。私はそこまで彼に溺れていたのです。

嬉しいことに、依頼を出して三ヶ月ほどで効果は表れはじめました。 私はケンタと会うたびに、隙を見てスマートフォンを盗み見しました。LINEのトークのやり取りを見ると、奥さんとの会話が映し出されています。
「育児に大して関わってないくせに、私のやり方に口出ししないで」
「しぱらくエリナ連れて実家に行きます」
「なんで共働きなのに私が育児も家事もやってるの?それをおかしいと思わないの?育児も家事に含んで嫁に丸投げとか、種撒いて終わりなわけ?」

これまでの微笑ましい内容とは真逆の、殺伐とした奥さんの不満……それに対する彼の反論が長々と綴られていました。 見れば見るほど、愉快な気分になりました。これが盗み見ているものでなければ、笑いが止まらなかったでしょう。 愛した男が妻と揉めて、離婚寸前になっている……これほど愉快なものはありません。 もっと争え、もっと揉めろ。そして私のところに来れば良い。 そればかりが私の胸に渦巻き、ケンタと奥さんの仲がどうなっているのか毎日気になり、興奮で眠れぬ夜を過ごしました。

それから約一年後。ケンタは長い話し合いの末、奥さんと離婚しました。原因は育児と家事の分担が、働いている奥さんにすべて傾いていたことです。ワンオペ育児というものでしょう。 ケンタは私の前では離婚したことなど言いませんでした。バレていることすら知らないでしょう。 そしてついに、私とケンタは入籍し、晴れて夫婦となったのです。妻子を蹴落として手に入れた最高の旦那様に、私はこの上無い幸せを感じていました。 このまま私はケンタと幸せな家庭を築き、共に歳を取り、同じ墓に入るんだと思うと、嬉しさで涙が溢れました。

しかし、結婚してしばらくした頃。私の妊娠が発覚しました。念願の赤ちゃんに喜びを感じていましたが、私が妊娠して安定期に入ったころから、ケンタはあまり家に帰らなくなりました。 部下が出来て仕事が忙しい。取引先との飲み会がある。そう言って深夜に帰宅する日々が徐々に増えていったのです。 元々不倫相手だった私には、すぐに分かりました。だから見たんです……彼のスマートフォンを。 そしたら、出るわ出るわ浮気の証拠。LINEにはどこぞの女と仲睦まじくやり取りしている様子が綴られていました。私の時と同じです。

しかし、私は動じませんでした。 私はすぐに自分のスマートフォンで「呪鬼会」に連絡を入れて、こう依頼をしました。
「ケンタと浮気相手が別れて、私のところに戻ってきますように」と……。
ケンタの浮気癖は治らないでしょう。でも私はそれでも良いんです。 私は何度でも、呪鬼会に頼りますよ。 だって、ケンタを手離したくないのですから……。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

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